2016年11月8日火曜日

養生

息子がよく風邪を引くからか、病みながら生きる身体を持つことについて時々考える。「すべて」というリミットを必ずしもはっきりと持つわけではない身体。風邪をひきやすい身体。あるいはもっと深刻には免疫不全の身体。困ったほどに〈他〉へ向けて開かれた、「すべてではない」身体。そのような身体に必要なのは、「健康」と「病」の境界をまたぎこす「治癒」の契機ではなく、病へと傾く身体をこまめに立て直す「養生」であろう。あまりにも歓待的な身体が、一貫性ごと崩壊してしまわないように、丁寧に身体の形を押しとどめるような小さな工夫。身体に限らず、心にせよ、あるいは共同体にせよ、それが「すべてではなく」、旺盛に歓待する側にある時は、こうした養生が考えられねばならないだろう。養生の方策は、科学的なヘルスケアと違って、いつもブリコラージュ的だ。エヴィデンスもない。だがそれは何らか機能している。おそらく環境として身体を支えている。生き方を纏う、というようなことであろう。

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